MaMemeMemoの筆をここでおき、あらたにMaMemeMemoⅡとして再開。ネットで書くこと、読むこと、想うことの見当に明け暮れた第Ⅰ期から、まさに「読・書・想」からはじめる第Ⅱ期へ。ここで知り合った数多くの方々に感謝いたします。 それではMaMemeMemoⅡでお会い…
このところ、SNSもブログ同様すっかり若い世代の文化のなかに根付きはじめているが、少し気がかりがある。米国でも日本でもSNSの核になる年齢層が二十代から三十代前半であるということ。 SNSの代表格mixiでは、20〜24:33.8%、25〜29:28.4%、30〜34:17.6%…
都市は機械学者である。 都市は映像作家である。 都市は通信装置である。 都市は玩具工場である。 都市は漂流教室である。 都市は色即是色である。 月は観察学者である。 月は活字職人である。 月は図書番人である。 月は即興詩人である。 月は時計工房であ…
年末の約束で中上さんをたずねる。少し早く到着したので佃島の住吉神社にお参りする。川縁の神社。本日の話題は2007年問題から外国語教育、伝承まで。様々な自分をそれぞれに交換する。今年はいよいよ悉皆屋の出番が多くなりそう。 写真は工作舎のキャビンか…
街を出るにはことばを持つとよい。ことばは感覚をこめることができる。そこに文体が生まれる。
感覚とは異装の発見である。都市の反復は異装を消去していく。
モーツァルトを聴くと落ち着くのは、感情の起伏がゆるやかであったり、主和音の使い方だけではなく、フレーズのつなぎ方に秘密がある。モーツァルトはフレーズからフレーズに展開するときにいきなり飛び移らず、間のフレーズをはさんで準備する。するとすべ…
瑛九(1911年〜1960年)は現代のピクチャレスクを駆けぬけた。 油絵から美術評論、写真からフォト・デッサン(マン・レイのフォトグラムの瑛九版)、エスペラントの小説から共産党、大量のリトグラフからエッチングまで。だが、そのどれもがその真中にむかう…
ピクチャレスクは18世紀にはじまるとされるが、おそらくは16世紀ごろにはじまる色や形の構造化・カタログ化の熱情にはじまり、18世紀になって様式として社会に放たれるようになったのだろう。おそらくは「都市化」の動向と無関係ではないはずである。都市が…
都市のピクチャレスクを一皮剥くと山水があらわれる。都市というピクチャレスクは山水の皮膚であり、山水の淵でちりちりと色を放っている。 ▼山水都市 http://sansui.seesaa.net/
つまるところ、世界は総称にすぎない。
ライプニッツはとびきり澄んだアート感覚を持っていたろう。モナドもアルス・コンビナトリアもそんな世界を読書するための構想、読書術であった。ライプニッツの巧妙はまずモナドを準備するところにある。材料や要素を並べ立てて品を出すのではなく、いきな…
アートをモナドとして語ってみると様々なものが見えてくる。メディアがモノ・コトの器なら、アートは意味の器である。アートが結ぶのはなによりも人と人だ。人は意味を喰らういきものである。
近代が礎とした都市はなにも地上ばかりではない。近代的思考が巣食う脳のなかにもひろがっている。そしてそこから私という国家が出自している。私という窮屈な器は到底人の揺り籠になれることはなく、もたらされた緊張が怒りを生む。 都市は山水にかなわない…
大晦日深夜、本覚寺の鐘撞堂脇のお供え。もうすでに境内にはテントの店が準備。すっかり出来上がっている虎もいる。来年は何を迎えるのか。
以前、さかんに五感をめぐる空間形成が気になっていたことがある。アフォーダンスはあまりに外化にすぎ、クオリアはあまりに内化にすぎると感じていた。そこで人の感覚のかたちが現実に持ちこまれた場を五感空間と呼んでいた。人は生きている空間のなかでは…
油断するとそのまま亜空間に連れていかれそうな音空間。最近、存外に音楽が自由で面白い。mF247のようなサイトもそんな空間の牽引役になっている。この動向をリアルな空間に結びつけることを構想中。 ▼antenasia http://www.antennasia.com/
ひとつ宿題がある。3DCGが駆使された映画やゲームの空間に時間感覚がないのはなぜか。なぜはじめも終わりもない世界とみてしまうのか。一方で週刊誌に連載されている漫画やサザエさんのアニメーションに時間を感じてしまうことがある。山水画のように静止し…
押井守監督の『イノセンス』をみる。ブレードランナー、ヴィリエ・ド・リラダン、レーモン・ルーセルなど全編に借用イメージが散りばめられ、世界が再構成される。ルーセルの『ロクス・ソルス (平凡社ライブラリー)』は、広大な庭の空間から彫像から、全体の…
午後、月島の工作舎に中上さんを訪ねる。前回の月島ミーティングは阿吽のはじめの顔合わせといったところで、あまり「構想」や「想い」は交換していない。だがそれでも十分すぎるほど月が動きだしていた。来月下旬、またメンバーでミーティングを持つが、そ…
朝の桜氏は病院の屋上からだったが、少し息が苦しそうだった。夜が怖いと言っていた。寝るとそのまま連れて行かれてしまうのではないか、という気持ちに襲われる。いったい年を越せるのだろうか。人と世界の淵の不安のなかで桜氏は闘っている。さきほどの桜…
悉皆屋は、エディトリアルなネットワーカーだった。京の地に絢爛と現れる有象無象の文化を縫い合わせ、ひとつの形に仕上げていき、そこに呉服文化をつくった。いま、日本に不足している役である。病院のベッドの桜氏と電話で悉皆屋をつくる話をする。戦略を…
Google Videoにふたつの日本を見る。 ▼Documentary On Japanese Sushi http://video.google.com/videoplay?docid=6905089586228877019 これは文化の二重性に遊ぶ作品。日本人から見ればとてもコミカルでシニカルなお遊びだが、海外から見る眼はまるで異なる…
「い」のモードの発揮。いる。いく。
からっぽの洞窟に充満する声。自分の化身をネットワークのなかにおく。
日記化する生きている空間。ジャーナリズムの距離と日記の距離。手元感覚の流通。解体するペーパー・ジャーナリズム。ペーパー・ポリティクス。
解像度をコントロールして世界を行き来するところに編集性がはじまる。高解像度と情報の氾濫。認識の逆襲。
日記。日本らしさのエッセンス。語らずして書く。識字率。表意空間。山水と日記。狩野派から琳派、神坂雪佳まで。按配からデザイン。座すことと置くこと。起立工商会社。
ナノ・テクノロジーよりグリッド・コンピューティング。携帯電話より100$PC。
表現は記述の様態ではなく、いくばくかの歴史的覚悟のある記述。場に放つこと。