クローズド・ループ

このところ、SNSもブログ同様すっかり若い世代の文化のなかに根付きはじめているが、少し気がかりがある。米国でも日本でもSNSの核になる年齢層が二十代から三十代前半であるということ。


SNSの代表格mixiでは、20〜24:33.8%、25〜29:28.4%、30〜34:17.6%という比率になっている。この合計で実に79.8%。人数にすると200万人に対し159万6千人。ちなみにぼくの世代は1.4%(2.8万人)となっている。この比率ははSNSが社会で認知されるにつれ変わっていくだろうとする予測もあったが、ほとんど変わっていない。

これはこの世代の社会的特徴をあらわしている。どうもこの世代は横へのつながりが広く、縦のつながりが薄い。携帯電話やお笑いやオタクの文化の牽引役になったのは彼らであった。この薄いひろがりが大人になりきることのできない世代をつくった。彼らは、社会のなかではガラスの標本箱のなかで暮らしている。伝統を受けとりきれずに思いつきのことばの同語反復が異常に増加する。そして同語反復空間のなかでSNSでの役作りをする。だがここに作られる役は標本箱のなかでしか役に立たない。そこに彼らのジレンマがある。

彼らの生みだす文化はなかなか面白いのだが、すぐ飽きてしまう刹那的なものが多い。自分では楽しむのだが、人にプレゼントしたくなるものが極めて少ない。特にことば。彼らはことばに対してあまりに無防備である。

だが、これらの動向は彼らが作りだしたものではない。近代化というプロセスのなかで人工的に造られてしまったもので、これからこれらをきちんと消化して本来に還してやる必要がある。


おそらく彼らの突破口は身体感覚にある。まずはアート。アートはSNSのなかだけでは流通しない。現実の社会的な場で流通する。彼らのアートはおそらく戦後はじめて「日本というジレンマ」をもたずに素直に日本をも表現できるアートで、社会的評価も高い。それまで、なかなかにもどかしくもんどりうちながら得ていた表現を、彼らはなんのてらいもなくやすやすと差しだしてしまう。これは注目しておきたい。

もうひとつは結婚。結婚によってもたらされる社会的生活空間が縦のつながりを静かにもたらす。いま、晩婚化が進んでいるのも、この縦のつながりに対するおそれを潜在的に持ってしまっているからなのかも知れない。


そこでいま、彼らをふくむ様々な年齢層が重なりあうプロジェクトを色々と仕掛けているわけだ。