2005-04-01から1ヶ月間の記事一覧

シンメトリーの世紀

今年は、アインシュタインが光量子仮説・ブラウン運動・特殊相対性理論の三本を発表した奇跡の年から百年、世界物理年として世界で様々な物理学、アインシュタインにまつわるイベントが年間を通して開催される。物理学・科学が曲がり角に来ている時であって…

Raindrops Rythm Recording

かつてメシアンは森のなかの鳥の声を採譜したが、もしやと思い本日の雨だれを録音してそのリズムを採譜してみる。さすがに天からの雨だれはかなりノイジーになってしまったが(リズムというよりクラスターになってしまう)、木からしたたる雨だれは意外なこ…

ボナンゴとしてのブログ

ブログには「ある距離」を持ったコミュニケーション感覚がある。つぶやきのようであり、石を投擲するようであり、演説するようでもある。おそらくこの感覚はザイールのボンガンド族のボナンゴに似ている。ブログに記事を投稿した後のあの安心感にもその先の…

桜氏の出来事

桜氏はつきあいはじめておよそ五年になる男であるが、花鳥風月がよく似合った。特に桜がよく似合った。それがぼくを不安にさせていた。去年、桜氏は仕事で関西に出かける。ところが突然、ふつりと連絡がとれなくなる。一週間ほどして連絡がとれたのは明石大…

林檎の唄

一度告白しておこうと思う。椎名林檎を初めて聴いたとき、背中を打たれたような衝撃だった。近松門左衛門を眼の前にしている気がした。飛びぬけた日本の伝統的感性を持っている。まぎれもない、あの日本である。林檎の言葉は日本にかかる三日月のように鋭い…

五行歌

はじめて書いた五行歌。 桜ちるちる 夜半の風 思ひ出ゆらす 花びらに 月の棲み処を見たりけり

メタフィジクスからゼネティクス

そろそろメタフィジクスからゼネティクスへ抜けたい。脳内より胸の内をこそ明かしたい。

幼年期の終わりと文化論

そろそろ幼年期を終わりにして、地球にとっての文化、宇宙にとって地球に文化がある意味を考えたい。そこにゼネティクスを措いておく。

リミックス

およそ文化には境がない。文化を流れる文物が互いに繰りこみながら多様化する構造を生んでいく。だからオリジナルはついぞ存在しない。商品は仮想のオリジナルを生んだが、インターネットはオリジナルを溶かしてしまう。著作権にはオリジナルという前提があ…

神様のブログ

地球も神様のブログであるのかも知れない。

ブログの分類

ブログは場所である。内容を代表するのではなく、場所を代表する。だからひとつのブログのなかにディレクトリが生れる。サイトの発見とは場所の発見である。

存在内世界

ぼくたちはすでに世界の一部であるのかも知れないが、直接世界に触れることはできない。触れた途端、世界と存在がいれかわる。世界内存在と思って油断していると存在内世界になる。世界を見ていると世界に見つめられる。

間と前後

間と前後はいつも対になっている。時間でも空間でもない。時間と空間は遅れてやってくる。日本は主客ばかりでなく、いつも前後が入れかわる。足穂は前後の人だった。詩よりも詞よりも短歌だった。

超現実

およそ超現実は現実の認識のために準備されている。ソフトウエアは世界を見るための道具立て。ソフトウエアは生命の近傍にしか存在しない。ソフトウエアとハードウエアの消失点が大拙の絶対無、幾多郎の場所、熊楠の放浪。AとBのステートメントの間にはいっ…

青い照明

わたくしといふ現象は 仮定された有機交流電流の ひとつの青い照明です (あらゆる透明な幽霊の複合体) 風景やみんなといっしょに せはしくせはしく明滅しながら いかにもたしかにともりつづける 因果交流電灯の ひとつの青い照明です 法華というよりは禅の…

Small World

ある夜、電柱から薬壜に飛びこむものがあるというので見物に行くと、薬壜がひとつ、お月様に光っていた。

お月様の背中

ある夜、お月様の前をお月様が走っていた。思わず追い抜こうとすると、はたして脇を追い抜いていくものがあった。

前後から時間

前後の積み重ねが時間という感覚を生む。

物語の種

自分という場所が世界のなかで前後というズレをつくり、物語の種を発光させる。この点滅が重なりあいながら物語が結構していく。このはじめの種を「情報」と言い切ってしまうと、自分は物語に疎外されてしまう。

風とスーパーストリング

スーパーストリングに「糸」を重ねてしまうのがよろしくない。おそらくは「風」が一番近い。世界の尻尾は口笛を吹いている。

本格から遊びにぬける

はじめが本格、そして遊びにぬけるのがよい。まず小さな遊びを仕立て、それをつみあげて本格にするなどという向きもあろうが、ぼくは本格から遊びにこそぬけたい。本格はいつも遊びの準備である。