シンメトリーの世紀

今年は、アインシュタインが光量子仮説・ブラウン運動特殊相対性理論の三本を発表した奇跡の年から百年、世界物理年として世界で様々な物理学、アインシュタインにまつわるイベントが年間を通して開催される。物理学・科学が曲がり角に来ている時であって、この模様がなかなか味わい深い。

昨日、世界物理年記念のシンポジウムに出かける。ジェロームフリードマン、スティーヴン・チュー、楊振寧の三人のノーベル物理学賞受賞者の記念講演に加え、これからの物理、科学技術の在り方を宣言する東京宣言の採択と署名。

ジェロームフリードマンは、二十世紀の物理学を振り返り、そのうえでこれからのテーマを検証する。いま世界を賑わしている「ひも理論」にもさらりと触れていた。ひも理論では宇宙を構成する次元を十次元とするがそのうち六つの次元は短く、寄り合わされて検証できないとする。この検証不能性が実験にはじまる物理学の潮流では物議を醸してしまう。ただ、アインシュタインの果たせなかった大統一場理論(最終理論)構築のプロセスでは無視できない。

ティーヴン・チューは物理学の対象に三つの軸があるとする。ひとつめは微小なもの、量子力学。ふたつめは巨大なもの、宇宙論。そしてもうひとつが複雑性。この複雑性の最たるものが生物であり、mRNAの物理的挙動についてもプレゼンテーションしていた。

そして楊振寧楊振寧パリティの対称性が破れていることを発見し、1957年にノーベル賞をとった。宇宙はCPT原理に硬く守られていると暗黙のうちに信じられて来た。空間についてもパリティについても時間についても対称性が守られていると信じられてきた。たとえば電子(負の電荷をもつ)があればそれと同じだけの陽電子(正の電荷をもつ)が同数存在する。そう信じられて来た。だが楊の実験の結果は違った。電子に比べ検出できる陽電子は極端に少ない。そう、われわれの宇宙は偏っているのである。彼は二十一世紀はシンメトリーの時代になる、と断言していた。ヘルマン・ワイルロジェ・カイヨワバックミンスター・フラーをまつまでもなく、シンメトリーという思考軸がやってくるだろう。

また、彼は「ローレンツは数学がわかっていた。ポアンカレは哲学がわかっていた。でもふたりとも物理学がわかっていなかった」と語った。アインシュタインはこのすべてがわかっていたというわけだ。

このごろは人を勘定にいれた科学が語られるようになってきている。東京宣言のなかでもこの柔らかい科学がすえられている。科学はそろそろ宇宙に偏在するこころの問題にも取り組むべきなのである。

シンポジウムでは「科学と藝術」というテーマのパネルディスカッションもあったのだが、パネラーのほとんどが「こんな大それたテーマで自分が語るなんて…」という前置きを措くのが印象的。まだ本当のところこのような意識が希薄なのだろう。「科学」と「藝術」を並べることでかえって「科学」と「藝術」の溝を際立てていた。パネラーの誰もがとまどっていた。「芸術」にしたほうが油断したかも知れない。

鳥も科学をもつのだろうか。

ぼくはこちらのほうが気がかりである。そんなところから科学という方法の意味をもう一度考えて見るとよい。鳥の羽根の微分方程式は美しいだろうか。


▼世界物理年2005
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▼物理・ひと・未来
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▼Einstein@Home
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 さあ、自分のデスクトップで重力波を検出しよう。