2004-05-01から1ヶ月間の記事一覧

可聴域と超高周波

おそらくは超高周波に秘密がある。可聴域というフレームは、音を制限するのではなく、音をつくるためにある。超高周波と対になってリアルタイムでスコアを刻む。超高周波が基本的な「地」になっていると見たほうがよい。物理と感覚のあいだにこのような「地…

音の認識

おそらくどのような「音」も音それ自体では認識できない。絶対の認識はなく、「対と関係」がいつもある。差分といってもよい。差がないかぎりは人にとっては無音である。音を認識できるのは、背景の雑音との差だ、という説明がなされてきたけれど、頗る怪し…

メタフィジクス

おそらくはこれらをまとめあげる体系・方法がメタフィジクスになる。メタフィジクスは人の「生きている空間」に根ざした領域である。そしてその実践的方法が空間デザインになる。メタフィジクスは近代的学問領野では足りない。意味発生以後のプロセスにおけ…

情報デザインの将来

情報デザインは、空間の取っ手のデザインをすぎると、取っ手をツールとして空間そのもののデザインに向かう。よく情報の次のデザインの対象は社会デザインだ、という言葉がささやかれるが、正確には「社会空間デザイン」だろう。空間のなかでもコモディティ…

情報の神格

「情報」があまりに神格を持ちすぎている。どこにでも存在する魔法の粉のように語られる。だが情報はそれ自体だけで存在することはありえない。いつも空間のどこかが実体として対になっている。空間を「身体空間」「感覚空間」「自然空間」とレファレンスす…

空間の取っ手

情報はいつも「生きている空間」と対をなす。情報とは「見えない何物か」ではなく空間の対であり、空間の取っ手である。「情報デザイン」はなにやらインターネットやパソコンのなかの情報にカタチを与えているかのように見えるけれど、実は空間の取っ手をデ…

三遠バーチャル・リアリティ

VRは脳に近すぎる。「途上」のプロセスを飛ばしていきなり脳の近傍に情報が差し出される。だからこそ、解像度を落とし、人の感覚がつけいる「隙」をもったVRを提案したい。おそらくは圧倒的なリアリティを持ったソリッドな空間ではなく、やわらかな編集的リ…

屏風のリアリティ

なにもエレクトロニクスがなければ「仮想現実」が生まれないわけではない。かつては屏風から抜け出た物の怪に慄いたり、掛け軸の滝にすずやかさを堪能したものだった。そこには電子的現実とは異なる仮想現実があった。「現実感」は、脳のなかで情報が束ねら…

バーチャル・リアリティの遠近

また、VRは研究者が意識しないうちに近代的(西洋的?)遠近法がCGとともに用いられる。だが、およそ人が脳のなかで正確に線形遠近法を利用してるとは思えない。おそらくは山水画の三遠(高遠:山の下から山頂をあおぐ、深遠:山の谷間から後方をうかがう、…

バーチャル・リアリティの疲労

S研究所のH氏としばし歓談。バーチャル・リアリティ(VR)の応用の話の段で、VRを体験するととても疲れるという話題。VRは視覚を中心にした超高密度の情報で圧倒的なリアリティを出現させる。おそらくは、視覚に関しては「自然状態」以上の密度と速度で情報…

風の意味

むかしから不思議に思うことがある。たいがいの赤ん坊が息を吹き掛けると喜ぶのはなぜか。おそらくは、バラバラの感覚が同時にはたらくスイッチが入り、「風」からもっとも原初的な「意味作用」がたちのぼってくる気がしてならない。はじめに人が覚える「意…

風の地形図

高層の風が空中に描き出した関東の地形図を裏から見上げるのは不思議な見物であった。 (寺田寅彦『春六題』より)

風学

そろそろ風に遊びたいと思っている。風には科学も文化も遊びもひととおり揃っている。「まとめて遊んでしまえ」が風学のはじまりになる。ねえ、そろそろ遊びまセンカ?

風狂

風は時に人の軸さえ傾ける。風のすさぶカオスのなかで「狂」にはじまる新しい構造をもたらす。風狂には次の舞台への趣がいつもこめられている。坂口安吾ならさしずめ風博士だろう。「風祭」など風のつく苗字も物語のなかでは定番である。五七五のわずか十七…

風土

風土という言葉で空間に迫れるほど、人と風は切り離せない。和辻哲郎の風土も、鈴木秀夫の風土もオギュスタン・ベルクの風土もこの「風の感覚」にはじまる。柳田国男の『風位考』にはじまり関口武の『風の辞典』に連なる風収集によれば、日本にはおよそ2145…

風覚

風はおよそ感覚そのものである。感覚が姿をもってめぐっていると言ってもよい。視覚や聴覚や触覚というぐあいにバラバラに生起するのではなく、感覚の一切が風のなかにたたみこまれている。ボブ・ディランは「すべての答えは風のなかにある」と歌った。妙に…

風格

風をまず皮膚で感じる。これは身体の外を吹く風。冷たかったり、熱かったり、吹き飛ばされそうなチカラだったり、獣の歯のように砂が刺したり、ソヨソヨと涼しさを運んだり、遠くの音を運んだり、およそ人と自然のかかわりのはじめの一歩が刻まれている。な…

無音の音

日本の音の感覚もなかなかに見事。なにしろ無音の空間を「シーン」という音で表現してしまう。シーンという音気配であたり一面が満たされる。背景輻射が聞こえてきそうだ。

想像力、デザイン

想像力とはリアリティを発見する力。 デザインとはリアリティをかたちにすること。 これは今日学生に語った言葉。

音連れ

二畳ばかりの茶室にはいって驚くのは、耳が敏感になることである。釜で湯が沸く音、炭がはじける音、足が畳に触れる音から自分の息の音まで。また外から閉じられているようでいて、風の音、ししおどしの音、蹲で水のすべる音、様々な音が流れていく。 この耳…

森からのマレビト

ギターとヴォーカルのデュオ、Tuck & Patti/タック&パティのライブに出掛ける。今回彼らは龍安寺での演奏をDVDにとるために来日、そしてとある森のようなカフェでライブをやろうとしたが、場所がキャンセル、急遽、井の頭公園のカフェでライブをやることに…

MaMemeMemo

ダイアリーの名前についてよく訊かれるのでちょっとだけ。 これは「間」と「ミーム」と「メモ」と「まみむめも」をかけたもの。「間」は自分の文化の元である「日本文化」の代表的な癖、「ミーム」はご存知「文化遺伝子」、メモはそのまま記録的アーカイブ。…

確率的コンピューティング

これから飛躍的な研究を予想させる研究に「Probabilistic Computing」がある。ジョージア工科大学の Krishna Palem 教授を中心に研究が進められている。通常のコンピューティングの思想だとイエスかノーの結果を導くのにすべての計算を行うが、確率的コンピ…

方法の国

日本はもとより「按配」から「布置」「図案」「図按」といった世界配置の溢るる国である。 尾形光琳による作も、芸術的に対象を写実しているわけではない。屏風、硯箱などの「フレーム」に絶妙に事物を配置し、その按配から価値を生み出す。「合わせ」も「尽…

どっどどどどうど どどうど どどう

ご存知、風の又三郎の登場である。ぼくが又三郎の映画を撮るとしたら、この登場はぜひ縄文の太鼓にしたい。風そのものに綺麗な音のイメージがあるせいか、このシーンでありがちなのは正弦波を重ねたようなシンセサイザーの音である。綺麗なマントを羽織った…

無人島のドーキンス

どうもドーキンスの切れ味が悪い。なぜ無人島に科学的思考を持ちこもうとするのだろうか。「生きること」の意味の問題だね。

サウンドスケープ異聞

先日大学の講義の『音の学校』でサウンド・スケープをとりあげたのだが、どうもマリー・シェーファーの「音」に対する態度に不満が残る。マリー・シェーファーは『世界の調律』のなかで人の声が中心だったルネサンスの時代、楽器が発展したクラシックの時代…

ピンクフロイド・バレエ

テレビでピンクフロイド・バレエを観る。少し期待はずれだった。ピンクフロイドの音楽が寄せ集めのように使われていた。まるで音楽に合わせて踊っている人形を見ているようで、なかにはいりこめない。どうせならピンクフロイドの音楽・サウンドを再編集して…

音のデザイン

近代のなかでアートを語るとき、音楽に注目するとよい。まさに近代の王道をいくクラシック音楽から現代音楽の世界。フォークソングからポップ・ミュージックからロック。ジャズからサンバ、タンゴから民族音楽まで。これだけ多種多様であると、音楽そのもの…