MaMemeMemo

ダイアリーの名前についてよく訊かれるのでちょっとだけ。


これは「間」と「ミーム」と「メモ」と「まみむめも」をかけたもの。「間」は自分の文化の元である「日本文化」の代表的な癖、「ミーム」はご存知「文化遺伝子」、メモはそのまま記録的アーカイブ。自分におきている出来事を記録するというよりは、自分の注意が向けられた先を記録していこうという魂胆から。「まみーむめも」と読みながら心のなかで(まみむめも)が刻まれる。


一口に「ダイアリー」といっても様々なタイプがある。自分のまわりに起きていることをジャーナリスティックにまとめるもの、自分の今日の出来事を心情的につらねていくもの、淡々と自分の一日の出来事を連ねるもの、様々。


日本では「土左日記」より「日記文学」(あまりに後世的な呼称ではあるけれど)がはじまったとされるが、おそらくは表舞台にでることもなくかなり古くからあるだろう。日本の「日記」の特徴はまず「女性」の視点からはじまっていること。土左日記の紀貫之も「女性」に仮託して書いていた。面白いのはその内容も「女性」の視点になっているところだ。おそらくここに流れる「文化」は日本文化の文字通り母型(ぼくは「マザー・コード」と呼んでいる)である。そこがたまらない。


また日記はいつも「ひとり」にはじまる。だからこそ、人がそのままに感じ入る細やかな感性や心の襞がおしみなく溢れる。この日本の情感を「湿っぽい」と切り捨てる向きも多いが、ぼくはこれからの文化をささえるマザーとして応援したい。日記のなかには「ひとり」の空間がやおら流れ出す。「ひとり」の言葉ではあるが、実は誰にでも思いあたるフシがある。それが日記の魅力だ。


ブログが流行しはじめて、「ホームページをやってる?」というより「ブログしてる?」ということも多くなった。「ホームページ」という方法以上に「言葉」からはじめることができるので、それぞれの人の「向き」があって面白い。


なによりも遊び心の放出が心地よい。