2005-06-01から1ヶ月間の記事一覧

吸いこまれそうな夕闇

日が沈んでそのまま吸いこまれて世界の果てまで連れていかれそうな刻限、どこまでも青い闇を見ていると、そんな存在のはかなさに遊ぶひとときを迎える。

無の境涯

「無」とはただ何もない、ということではない。「居る」と「在る」の交点の充実である。だから世界との一体感と自分の消失感が同時にやってくる。

見る生命

生命が生命であるためにかかえたねじれが「見ること」である。かくして「居る」と「在る」の二重性をたずさえることとなった。宇宙は自分の姿を知らない。生命は宇宙のただひとりの目撃者である。

「ただ居る」と「ただ在る」

人はただ、居るばかりである。自分という五感空間からは一歩も外に出ることはできない。時折ここに来訪者があるが、それは五感空間の外の影である。そこはただ、在るのだろうが、直接知ることはできない。五感空間という生涯の部屋を少しずつ小さくしていき…

City Building Education

Doreen NelsonのCity Building Educationが面白い。フラーのWorld Gameを彷彿とさせるが、身近なサイズで体験をともなって組み立てるのがよい。

理科と美術

抽象をみがくために理科と美術の接近を試みたい。感覚にとどまることなく、感覚から認識・理解、表現へと走る抽象との戯れが欲しい。

月とダンディズム

つまるところ、ダンディズムとは抽象に遊ぶことである。昼の光、昼の熱は太陽の仕業である。だが夜の闇は月の仕業ではない。だから月は抽象への入り口として古来より好まれてきた。抽象は感覚にとって、認識・理解にとって、表現にとってはじめの一歩だが、…

モンドリアン・ゲーム

モンドリアンが抽象に走った後の絵は、見ていて素直に心に刻まれる。おそらくはモンドリアンは内なる表現に気づき、内なる表現にもっとも近いかたちを絵筆に託した。林檎の木を描いていても、心のなかでは抽象が踊っている自分に気づいた。およそモンドリア…

爆発的につき

気体を圧縮すると、ふとしたはずみで分子の向きが揃い爆発的状況をひきおこす。社会という器に入れられた情報にも同じことがある。JAL、マイケルジャクソン、列車事故、若貴、カード情報流出、十五歳。どの放送局でも同時に同じニュースを話し出す。いまどの…

書きこむ

世界を理解するということは、そのまま内に向けて世界を書きこむということでもある。ここに表現のはじまりがあるが、これがなかなか気づかない。受信だけではまだ世界は見えない。受信したカケラに触れ、それについて再構成すると世界がたちあらわれる。テ…

空中散歩

GoogleMapで世界の衛星写真を公開している。自分の家を空から眺めたり、サグラダ・ファミリアを眺めたり。これがリアルタイムで見られる日も来るのだろう。

パラメトロンの父、還る

パラメトロンを生み出した後藤英一さんが12日に亡くなった。後藤さんは1931年渋谷生まれ、東京大学理学部大学院時代に新しい計算素子パラメトロンを考案する。23歳のときだった。リレー式真空管に変わる計算機の素子で、磁束の多数決によって状態の保存・計…

漂泊する

ネットを自分の皮膚のように感じてしまうのは、おそらくは漂泊する好みがあるからだろう。ネットのなかはそれこそ自由に漂泊できる。また漂泊に遊び思いがけない出会いを果たしたり、思いがけない出来事が展開したりもする。漂泊は遊びの原点である。宇宙の…

SNS+ブログ

ソーシャル・ネットワークは自分が招待し、ブログは自分がブログを選ぶ。この両者が結びつくとちょっとした関係のねじれを起こす。招待したばっかりにブログを読まされてしまうなど。もう少し自由なコミュニティ・サービスがあって良い。「参加する自由」の…

訪れ

サイトを訪れる人は、大別して「利用者」「弱い視聴者」「読者」「通行人」がある。「利用者」はポータル・サイト/検索サイトからどこかへ行こうとする人、通販のサイトなどを訪れる人。「弱い視聴者」は、定期的ではないがブックマークや雑誌等にのってい…

Smalltalk

Smalltalkがいい。こんな世界を表現していくのはやはりSmalltalkでなくてはね。

玄語壱号

数年前に利用していたノートブックPCに「玄語壱号」という名前をつけていた。言葉にはじまって自分を組み立てていく道具として利用しようと思い立っていた。いまは三代目。だがまだまだ言葉を扱うには不便な道具である。だからこそ道具を組み立てる愉しみも…

編集途上

大学で「表現の稽古」としてそれぞれ十分でプレゼンテーションしてもらい、他の人はその時間に聞いた内容に対する自分の感じたこと、考えを記述する。こんな稽古を繰り返している。はじめはいくつかの単語としての言葉がポツポツと書かれる程度だったが、回…

表現の不足

近頃はテレビや映画で表現されてしまった「イメージ」が一日中あふれているせいか、表現が不足している。以前、テレビである山村の小学校が創立以来の生徒の絵をすべて体育館にズラッと並べていた。同じ歳で描いた絵が、あきらかに幼稚になっていっている。…

俳句とマルチメディア

言葉の場合はまったく別の戦略をとる。見た光景も聞こえてきた音もまず言葉で表現し、次にその言葉の表現を読むことによって、もとの光景や音を表現する。だから「古池や蛙とびこむ水の音」と聞けば、だれもがある風情を楽しめることになる。マルチメディア…

言葉の効用

言葉は「情報」ほど正確でなく「それ」ほどのものでしかない。そこで組み立て方が甘い場合は別の言葉を引っ張ってきて穴を埋めてやる。そして表現の出来具合をあげていく。一見大雑把に見えながらじつに巧妙な戦略である。コンピュータはマルチメディアが得…

カオスの言葉の雲

この「情報」の内なる表現が言葉にあたる。もちろんこの言葉は外に向けて放たれる狭義の「言葉」ではなく、内に向けても外に向けても表現するための素材である。この素材が階層をなして組織され、「言葉」として唇を震わせる。この素材はおそらくはニューロ…

見ることと表すこと

「見る」という行為も、デヴィッド・マーによれば、まず入ってきた光景をスケッチし、その光景を構成するものの要素を取り出して関係を整理し(2.5次元スケッチ)、そして空間のなかで認識できるようにしつらえるという三段階を踏む。だが、これはスキャナで…

道を思い出す

家から駅までの道を思い出してみる。その道を友人に伝える。「まっすぐ三十メートルほど行き、交差点を右にまがり、煙草屋の角を右に入ってはじめの信号を左折して百メートル」などのように。この言葉から受けるイメージは人により大きな差があるが、「道」…

記憶する

ある事柄や出来事や人やモノを記憶するとき、いつでも再現可能な「情報」として記録するのはあまり賢いことではない。「情報」そのものが膨大で記憶するための巨大書庫が必要となるばかりでなく、検索したり、引き出したりするのも難儀だ。おまけに「情報」…

「情報」とそれ

ある「情報」はいつも同一内容をさししめす。再現性がある。だからこそ「同じ情報」になる。情報そのものを書き換えないかぎり、Aという情報がBになってしまうことはない。地球シミュレータはそんな「情報」から地球の気象を再現する。だが、自分のなかにあ…

世界を見る

なぜ、いま世界を認識できるのか。地球シミュレータを見てもわかるように、世界を構成するための「情報」はあまりに膨大である。はたして脳がこのような情報を「正確」にハンドリングしているか。

夜の手帖

四月のある日、稲垣足穂をなぞってみようとはじめたお遊び。やってみるとなかなか。書いた後は頭のなかが月夜のようにスッキリとする。お口にあいますかどうか。 ▼夜の手帖 http://tukiyo.blogspot.com/

ポペティ

これだけ聞いてクスッと笑ったらあなたもポペティスト。思わずツボにはまってしまうオランダの小人形劇。時間は各回五分間。おそらくはたまたま見てしまった人が多い。ポペティは手のひらぐらいの人形の頭、手、足に楊枝のような棒がつけられそれを二人で操…

落書き

ピカソの絵もクレーの絵もアポリジニの絵も、世界の余白に描いた落書きである。ここに表現することのはじまりがある。