2005-06-14から1日間の記事一覧

落書き

ピカソの絵もクレーの絵もアポリジニの絵も、世界の余白に描いた落書きである。ここに表現することのはじまりがある。

表現すること

記憶という小さな出来事にすら表現が介在している。おそらくはラスコーの洞窟より遥か以前に人の「表現すること」がはじまり、外に向かっても、内に向かっても表現してきた。それが豊かな心を作ってきた。「理解すること」は一見「表現すること」とは別の行…

記憶の塔

ある風景や出来事が記憶されるとき、そのときのニューロンの状態が数学的にコード化されてどこかにしまわれる、というのは考えにくい。これでは一日を記憶し再生するのに一日かかってしまうだろう。おそらくは一度心のなかで言葉で表現され、言葉で記憶する…

イマジネーション

人の網膜の解像度はおよそ100万画素。デジタルカメラとしてはあまり出来のよいものではない。100万画素のデジタルカメラで人の顔を写してプリンタで印刷すると画像がカクカクとしてあまり見られたものではない。だが、この網膜カメラで見える世界がこれほど…

美しさ

およそ音楽は存在しないからこそ美しい。音楽は自然には存在しない。だから心を豊かにするための食べ物になる。100KHzにおよぶ音の環境のなかでリラックスできるのも、20Hzから20KHzまでしかないモーツァルトを聞いてリラックスできるのも、同じ心の食べ物に…

共鳴

人の可聴領域は20Hzから20KHzでこの範囲の音は「日常の音」として「耳」が聞く。これは人が日常的に判断するのに十分で都合のよい範囲なのだろう。それ以上の「高周波」「低周波」がたえず聞こえていたら、おそらくは「音」として認識ができなくなる。耳は「…

感動

感動もおそらくは五感の自己組織化のしるし。鳥肌がたったり、ブルッと来たり、クラッと来たりする。共振するカオスが見え隠れする。だから沈む夕日を見て泣いてしまうことが出来る。

一切無

モルフォ蝶が青く輝いて見えるのは、つやのある青い光に見えるように、自分めがけてやってくる光を屈折させ反射させ干渉させているから。微細な構造が「色」を放つがどのような構造にも「色というもの」はない。同じように「音というもの」もない。「色即是…

フィードバックと半自分

ウィナーのサイバネティクスで大々的に取り上げられ、いまではどこにでも見られるありふれた「仕組み」になっているフィードバックにもう一度注目する。自分を客観的に見るためには自分の外に出なければならないが、フィードバックの仕組みは自分の外に出る…

五感空間

自分のいま宇宙のなかにいる場所(時間×空間)に加え、それぞれの感覚をひとつの次元に見立ておよそ十次元ほどの空間に自分をマッピングしたときにあらわれる空間を、ひそかに五感空間と呼んでいる。自分はこの空間の外に出ることはできない。自分の地平線だ…

五官から五感へ

いくら技術を駆使して精巧なセンサーを開発しても、それだけでは「五感」というひとつに結び合わさった「感覚」は生まれない。それぞれの官を足し合わせたところで「五感」は生まれない。おそらくはこの「五感」には感官のネットワーク化の自己組織化が関わ…

五感と五官

五感は五官そのままではない。五官はセンサーで五感はそれをきっかけにして生まれる感覚。もちろん感覚と認識されたときはすでに脳で処理されている。この感覚をもとに世界が再構成され続ける。