2006-01-01から1ヶ月間の記事一覧

MaMemeMemoⅡへ

MaMemeMemoの筆をここでおき、あらたにMaMemeMemoⅡとして再開。ネットで書くこと、読むこと、想うことの見当に明け暮れた第Ⅰ期から、まさに「読・書・想」からはじめる第Ⅱ期へ。ここで知り合った数多くの方々に感謝いたします。 それではMaMemeMemoⅡでお会い…

クローズド・ループ

このところ、SNSもブログ同様すっかり若い世代の文化のなかに根付きはじめているが、少し気がかりがある。米国でも日本でもSNSの核になる年齢層が二十代から三十代前半であるということ。 SNSの代表格mixiでは、20〜24:33.8%、25〜29:28.4%、30〜34:17.6%…

都市月

都市は機械学者である。 都市は映像作家である。 都市は通信装置である。 都市は玩具工場である。 都市は漂流教室である。 都市は色即是色である。 月は観察学者である。 月は活字職人である。 月は図書番人である。 月は即興詩人である。 月は時計工房であ…

月島郵便局003(2006.1.10月齢10.38)

年末の約束で中上さんをたずねる。少し早く到着したので佃島の住吉神社にお参りする。川縁の神社。本日の話題は2007年問題から外国語教育、伝承まで。様々な自分をそれぞれに交換する。今年はいよいよ悉皆屋の出番が多くなりそう。 写真は工作舎のキャビンか…

ことばと感覚

街を出るにはことばを持つとよい。ことばは感覚をこめることができる。そこに文体が生まれる。

感覚する

感覚とは異装の発見である。都市の反復は異装を消去していく。

モーツァルト覚書

モーツァルトを聴くと落ち着くのは、感情の起伏がゆるやかであったり、主和音の使い方だけではなく、フレーズのつなぎ方に秘密がある。モーツァルトはフレーズからフレーズに展開するときにいきなり飛び移らず、間のフレーズをはさんで準備する。するとすべ…

瑛九とモダニズム

瑛九(1911年〜1960年)は現代のピクチャレスクを駆けぬけた。 油絵から美術評論、写真からフォト・デッサン(マン・レイのフォトグラムの瑛九版)、エスペラントの小説から共産党、大量のリトグラフからエッチングまで。だが、そのどれもがその真中にむかう…

ピクチャレスクのはじまり

ピクチャレスクは18世紀にはじまるとされるが、おそらくは16世紀ごろにはじまる色や形の構造化・カタログ化の熱情にはじまり、18世紀になって様式として社会に放たれるようになったのだろう。おそらくは「都市化」の動向と無関係ではないはずである。都市が…

山水とピクチャレスク

都市のピクチャレスクを一皮剥くと山水があらわれる。都市というピクチャレスクは山水の皮膚であり、山水の淵でちりちりと色を放っている。 ▼山水都市 http://sansui.seesaa.net/

世界という総称

つまるところ、世界は総称にすぎない。

世界読書術

ライプニッツはとびきり澄んだアート感覚を持っていたろう。モナドもアルス・コンビナトリアもそんな世界を読書するための構想、読書術であった。ライプニッツの巧妙はまずモナドを準備するところにある。材料や要素を並べ立てて品を出すのではなく、いきな…

アートとモナド

アートをモナドとして語ってみると様々なものが見えてくる。メディアがモノ・コトの器なら、アートは意味の器である。アートが結ぶのはなによりも人と人だ。人は意味を喰らういきものである。

頭蓋都市

近代が礎とした都市はなにも地上ばかりではない。近代的思考が巣食う脳のなかにもひろがっている。そしてそこから私という国家が出自している。私という窮屈な器は到底人の揺り籠になれることはなく、もたらされた緊張が怒りを生む。 都市は山水にかなわない…