2004-01-01から1年間の記事一覧

走るか歩くか

今日は雨。昨日友人が雨のとき「走ったほうが濡れないか、歩いたほうが濡れないか」をシミュレーションしたらどちらも同じだったと言っていた。(ホント?) まず傘をささない場合を考える。普段歩いている速度と、倍の時間をかけてゆっくり歩いた場合を考え…

夜半の音

夜半にドサッという音が屋根で響き、何事かと庭を見たらたくさんの柘榴が台風の雨風にあおられて落ちていた。実の飛び散る様もなかなかに壮観。あまりに強い雨風にふと桜が気になり、ネットでのぞく。 ▼淡墨桜 http://www.city.motosu.gifu.jp/neo_web/kaika…

鎌倉アカデミア

かつて鎌倉には「鎌倉アカデミア」という自由大学があった。1946年からの4年半のこと。戦後かた立ち上がろうという意志のもとに、鎌倉の三枝博音、高見順、林達夫などが集まって開いた。学校は材木座の光明寺。このなかで「幾何学を学ばざる者、この門を入る…

ラボ準備中

いま、T美術大学で、[Squeak + 情報デザイン]の研究・開発・普及を進めるラボを準備している。T美術大学の情報デザイン学科では、「情報」の教育としてC言語やDBN(Design By Numbers、前田ジョン)などを実施しているが、どうもしっくりこない。相変わらず…

ご無沙汰

この2・3ヶ月、色々と重なってすっかりご無沙汰してしまった。いつの間にやら中秋の名月を超え、実りの秋へ。

胸中の技術

日本は幾重にも自分を折り畳んできた。弥生には縄文を、江戸には桃山を、明治には江戸を、平成には昭和を折り畳んできた。 モダニズムの原動力となった「科学技術」は「胸外の技術」である。人の外に世界の起点を措き、世界の体系を認識・表現・操作しようと…

デスクトップとしてのSqueak

講座終了後、自分のコンピュータの環境をSqueakでおおってしまった。これがなかなかにいい。Squeakの「プロジェクト」はそのそれぞれを仕事等を進めるデスクトップ空間に見立てることができる。引き受けた仕事によってその進め方も必要な情報群も異なるが、P…

Squeak、Squeak!

先日何某美術大学でSqueakの講座を持つ。学生の反応もまずまず。Squeakの由来にはじまって、オブジェクト指向という世界認識の方法から、Squeakの紹介。いろいろな作品をいじりながらSqueakの流儀に触れ、ビットなどの情報の基礎から情報デザインにいたる流…

日本らしさ

「日本らしさ」でいいじゃないか、と思う。国粋でも帝国でもなく、森のただなかに流れる日本の基層の調べにこそ耳を傾けたい。日本の近代の衣を少々仕立て直し、ワールド・ゲームを捨て、ジャパン・ゲームに遊びたい。そろそろそんな日本が発揮される頃合だ。

森のなか

日本は森の国。そこかしこに豊穣な霊(ヒ)が満ちている。「中心」がいくつもある。「ひとつ」ではない。そしてこの「中心」はじっとしていない。いつも微かに震えるように動き回っている。日本はそんな森の動向をこそとらえようとしてきた。そこにあったは…

らしさ

このところ立て続けに「日本らしさ」が会合での話題にのぼる。技術大国であるかのように見える日本も、どこか技術に「らしさ」が足りない不安にかられている。縄文の翡翠から出雲大社、組紐から金箔、機巧から変化朝顔、折り紙からアロハ・シャツ、漆から米…

可聴域と超高周波

おそらくは超高周波に秘密がある。可聴域というフレームは、音を制限するのではなく、音をつくるためにある。超高周波と対になってリアルタイムでスコアを刻む。超高周波が基本的な「地」になっていると見たほうがよい。物理と感覚のあいだにこのような「地…

音の認識

おそらくどのような「音」も音それ自体では認識できない。絶対の認識はなく、「対と関係」がいつもある。差分といってもよい。差がないかぎりは人にとっては無音である。音を認識できるのは、背景の雑音との差だ、という説明がなされてきたけれど、頗る怪し…

メタフィジクス

おそらくはこれらをまとめあげる体系・方法がメタフィジクスになる。メタフィジクスは人の「生きている空間」に根ざした領域である。そしてその実践的方法が空間デザインになる。メタフィジクスは近代的学問領野では足りない。意味発生以後のプロセスにおけ…

情報デザインの将来

情報デザインは、空間の取っ手のデザインをすぎると、取っ手をツールとして空間そのもののデザインに向かう。よく情報の次のデザインの対象は社会デザインだ、という言葉がささやかれるが、正確には「社会空間デザイン」だろう。空間のなかでもコモディティ…

情報の神格

「情報」があまりに神格を持ちすぎている。どこにでも存在する魔法の粉のように語られる。だが情報はそれ自体だけで存在することはありえない。いつも空間のどこかが実体として対になっている。空間を「身体空間」「感覚空間」「自然空間」とレファレンスす…

空間の取っ手

情報はいつも「生きている空間」と対をなす。情報とは「見えない何物か」ではなく空間の対であり、空間の取っ手である。「情報デザイン」はなにやらインターネットやパソコンのなかの情報にカタチを与えているかのように見えるけれど、実は空間の取っ手をデ…

三遠バーチャル・リアリティ

VRは脳に近すぎる。「途上」のプロセスを飛ばしていきなり脳の近傍に情報が差し出される。だからこそ、解像度を落とし、人の感覚がつけいる「隙」をもったVRを提案したい。おそらくは圧倒的なリアリティを持ったソリッドな空間ではなく、やわらかな編集的リ…

屏風のリアリティ

なにもエレクトロニクスがなければ「仮想現実」が生まれないわけではない。かつては屏風から抜け出た物の怪に慄いたり、掛け軸の滝にすずやかさを堪能したものだった。そこには電子的現実とは異なる仮想現実があった。「現実感」は、脳のなかで情報が束ねら…

バーチャル・リアリティの遠近

また、VRは研究者が意識しないうちに近代的(西洋的?)遠近法がCGとともに用いられる。だが、およそ人が脳のなかで正確に線形遠近法を利用してるとは思えない。おそらくは山水画の三遠(高遠:山の下から山頂をあおぐ、深遠:山の谷間から後方をうかがう、…

バーチャル・リアリティの疲労

S研究所のH氏としばし歓談。バーチャル・リアリティ(VR)の応用の話の段で、VRを体験するととても疲れるという話題。VRは視覚を中心にした超高密度の情報で圧倒的なリアリティを出現させる。おそらくは、視覚に関しては「自然状態」以上の密度と速度で情報…

風の意味

むかしから不思議に思うことがある。たいがいの赤ん坊が息を吹き掛けると喜ぶのはなぜか。おそらくは、バラバラの感覚が同時にはたらくスイッチが入り、「風」からもっとも原初的な「意味作用」がたちのぼってくる気がしてならない。はじめに人が覚える「意…

風の地形図

高層の風が空中に描き出した関東の地形図を裏から見上げるのは不思議な見物であった。 (寺田寅彦『春六題』より)

風学

そろそろ風に遊びたいと思っている。風には科学も文化も遊びもひととおり揃っている。「まとめて遊んでしまえ」が風学のはじまりになる。ねえ、そろそろ遊びまセンカ?

風狂

風は時に人の軸さえ傾ける。風のすさぶカオスのなかで「狂」にはじまる新しい構造をもたらす。風狂には次の舞台への趣がいつもこめられている。坂口安吾ならさしずめ風博士だろう。「風祭」など風のつく苗字も物語のなかでは定番である。五七五のわずか十七…

風土

風土という言葉で空間に迫れるほど、人と風は切り離せない。和辻哲郎の風土も、鈴木秀夫の風土もオギュスタン・ベルクの風土もこの「風の感覚」にはじまる。柳田国男の『風位考』にはじまり関口武の『風の辞典』に連なる風収集によれば、日本にはおよそ2145…

風覚

風はおよそ感覚そのものである。感覚が姿をもってめぐっていると言ってもよい。視覚や聴覚や触覚というぐあいにバラバラに生起するのではなく、感覚の一切が風のなかにたたみこまれている。ボブ・ディランは「すべての答えは風のなかにある」と歌った。妙に…

風格

風をまず皮膚で感じる。これは身体の外を吹く風。冷たかったり、熱かったり、吹き飛ばされそうなチカラだったり、獣の歯のように砂が刺したり、ソヨソヨと涼しさを運んだり、遠くの音を運んだり、およそ人と自然のかかわりのはじめの一歩が刻まれている。な…

無音の音

日本の音の感覚もなかなかに見事。なにしろ無音の空間を「シーン」という音で表現してしまう。シーンという音気配であたり一面が満たされる。背景輻射が聞こえてきそうだ。

想像力、デザイン

想像力とはリアリティを発見する力。 デザインとはリアリティをかたちにすること。 これは今日学生に語った言葉。