2004-01-01から1年間の記事一覧

音連れ

二畳ばかりの茶室にはいって驚くのは、耳が敏感になることである。釜で湯が沸く音、炭がはじける音、足が畳に触れる音から自分の息の音まで。また外から閉じられているようでいて、風の音、ししおどしの音、蹲で水のすべる音、様々な音が流れていく。 この耳…

森からのマレビト

ギターとヴォーカルのデュオ、Tuck & Patti/タック&パティのライブに出掛ける。今回彼らは龍安寺での演奏をDVDにとるために来日、そしてとある森のようなカフェでライブをやろうとしたが、場所がキャンセル、急遽、井の頭公園のカフェでライブをやることに…

MaMemeMemo

ダイアリーの名前についてよく訊かれるのでちょっとだけ。 これは「間」と「ミーム」と「メモ」と「まみむめも」をかけたもの。「間」は自分の文化の元である「日本文化」の代表的な癖、「ミーム」はご存知「文化遺伝子」、メモはそのまま記録的アーカイブ。…

確率的コンピューティング

これから飛躍的な研究を予想させる研究に「Probabilistic Computing」がある。ジョージア工科大学の Krishna Palem 教授を中心に研究が進められている。通常のコンピューティングの思想だとイエスかノーの結果を導くのにすべての計算を行うが、確率的コンピ…

方法の国

日本はもとより「按配」から「布置」「図案」「図按」といった世界配置の溢るる国である。 尾形光琳による作も、芸術的に対象を写実しているわけではない。屏風、硯箱などの「フレーム」に絶妙に事物を配置し、その按配から価値を生み出す。「合わせ」も「尽…

どっどどどどうど どどうど どどう

ご存知、風の又三郎の登場である。ぼくが又三郎の映画を撮るとしたら、この登場はぜひ縄文の太鼓にしたい。風そのものに綺麗な音のイメージがあるせいか、このシーンでありがちなのは正弦波を重ねたようなシンセサイザーの音である。綺麗なマントを羽織った…

無人島のドーキンス

どうもドーキンスの切れ味が悪い。なぜ無人島に科学的思考を持ちこもうとするのだろうか。「生きること」の意味の問題だね。

サウンドスケープ異聞

先日大学の講義の『音の学校』でサウンド・スケープをとりあげたのだが、どうもマリー・シェーファーの「音」に対する態度に不満が残る。マリー・シェーファーは『世界の調律』のなかで人の声が中心だったルネサンスの時代、楽器が発展したクラシックの時代…

ピンクフロイド・バレエ

テレビでピンクフロイド・バレエを観る。少し期待はずれだった。ピンクフロイドの音楽が寄せ集めのように使われていた。まるで音楽に合わせて踊っている人形を見ているようで、なかにはいりこめない。どうせならピンクフロイドの音楽・サウンドを再編集して…

音のデザイン

近代のなかでアートを語るとき、音楽に注目するとよい。まさに近代の王道をいくクラシック音楽から現代音楽の世界。フォークソングからポップ・ミュージックからロック。ジャズからサンバ、タンゴから民族音楽まで。これだけ多種多様であると、音楽そのもの…

アート&サイエンス

いま、おりにふれて「アート&サイエンス」を持ち出しているのは、すっかりバランスが悪くなってしまった思考の二軸をまずは思い出すためだ。そしてバランスを回復していくための方法・エクササイズを準備するというわけダ。バランスの悪いわれわれがバラン…

ふたつの思考軸とブレイン・サイエンス

人が祭りなどでトランス状態にはいっていくプロセスの脳内の変化をみていると、超現実(神話)的思考軸と現実(科学)的思考軸が見事に準備されている気がする。世界との関係が神話的思考軸によって震わされ、世界との連鎖が科学的思考軸によって揺り動かさ…

芸能一番

何某省の研究会の番外編で大橋さんのスタジオに伺う。まず「融合領域」につて大橋さんよりプレゼン。予定をオーバーして昼食に寿司をつまみながら自由なディスカッション。途中で少々思想的乱入事件があったが、これがそのままいまの世界振りをよく表してい…

百五十年

そろそろペリーが黒船で登場してから百五十年。登場の仕方があまりに見事だった。これが日本の「近代」のはじまりだ。いま百五十周年のイベントの話がいくつか持ち込まれるが、そろそろ次の百五十年のための旗をかかげるのがよい。鴎外先生がかつて「日本は…

時間割

そんな按配でいま「学校」のシリーズを模索しながら企画している。3日で1日4コマ、計12コマの時間割を組み立てる。12コマでひとつの区切りとなるから講座の組み合わせに自然にストーリーが生まれる。また3の4の12という数が人にとっては区切りを…

私塾

一方で私塾の動きもある。とりわけ注目したいのが中西進の「中西人間塾」である。生も死も清も濁もやわらかく包みながら日本を語る中西進の語り部の現場がある。ここには大学にあったような制約は何もない。あるのは人の知の現場そのものである。いまの学校…

コミュニティ・スクール

金子郁容らが進めているコミュニティ・スクール構想も少しずつではあるがひろがっているようで注目したい。これは伽藍の学校からバザールの学校への試みである。だが、ここにもひとつ落とし穴がある。学校の中身である。知の構成だ。それぞれの場所で一等に…

夏の学校、森の学校

いま、「学校」のあり方を気にかけている。近代の黄昏とともに襲ってきたのは、伝承されていく「知」のあり方である。現行の学校制度のなかではそのなかに入れることができず埒外となってしまう知も多くある。実は日本の現行の学校も一神教パラダイムによっ…

近代の先

さて0911以来、「近代は終わった」という気分が世界をおおっているが、近代を破壊するだけでなく、「近代の先」を歩みたいものダ。破壊はテロリズムどまりだ。ジャーナリズムにいたるまでいまこのテロリズムが横行している。このふたつのココロの軸がなかな…

軸の所在

だが、このふたつのココロの軸はどちらか一方を選択するのではない。だれもがこのふたつの軸をもっている。現実的思考・科学的思考は物理的生活を成立させるためにはたらく軸であり、超現実的思考・神話的思考は、物理的空間をこえて他所の空間、世界と連な…

マイクロソフトリナックス

マイクロソフトとリナックスもこの軸に重ねてみることができる。エリック・レイモンドはこの軸を『伽藍とバザール』と表現した。ビル・ゲイツを頂点とするマイクロソフトのソフトウエア開発を「伽藍」とし、リナックスのソフトウエア開発を「バザール」とし…

森林と砂漠

鈴木秀夫は風土論のなかでまた二軸を展開する。砂漠という風土ではいつもいま決断しなければならない。これがロゴスを核とした一神教を生む土壌となり、やがてイエスを生んだ。一方森林のなかはどこを切っても不可分な多様で多彩な関係にみちている。これが…

神話的思考と現実的思考

ヒトの心のなかには神話的思考と現実的思考が同居している。現実的思考は、コップをもったり、御飯の支度をしたりと日常的な「所作」にかかわる部分に連なる。また神話的思考は、花に母の顔を思い浮かべたり、神前で手をあわせたり、森の中で神の化身の鳥に…

言葉からリンク

実は数あるブログ・日記環境から「はてなダイアリー」を選んだのは、「言葉からのリンク」があるからダ。ハイパーテキストは、ある言葉からページへジャンプする。ところが「はてなダイアリー」の場合は、言葉の参照がリンクされる。この逆リンクが言葉に主…

都市芸能としてのメディア・アート

最近、メディア・アートと芸能の近似に注目している。芸能は風土・文化のなかにある空間を構築し、そこに人がはいりこむことで社会が確認される。実はこれと同じ向きがメディア・アートにもある。人の五感を刺激・五感に直結しながら空間を体験させようとす…

TetraBook.com 仮オープン

TetraBook.comを仮オープンする。コンセプト・ブックやダイアグラムやメモなどをここにアップしていく予定。『ポスト近代への概念マップ』もここにアップ。http://www.TetraBook.com/

インターネット・ラジオ

この一週間、仕事をしながらずっとインターネット・ラジオを聞いていた。インターネット・ラジオもさすがに一週間聞くと聞くモノがなくなってきてしまう。いくらでも局を選べて聞ききれないほどのコンテンツが埋まっているかもしれないと思ったが、案外孤独…

テキスト・ファイル

テキスト・ファイルとワードのファイルの違いがわかりますか。これに正確に答えられる人が存外少ない。デジタル化されていく情報の正体を見つめるためには、一番はじめにおさえておかなければいけないツボどころなのだけれど、これが答えられない。はじめに…

ポスト近代への概念マップ

ポスト近代への概念マップを書く。近代のはじまりから近代化の正体、近代の破綻まで。分断から統合への流れのなかでのアート&サイエンス。これからアジア圏の芸能は要注目。近代を超えるのは屋台と芸能だろうネ。メディア・アートと芸能の近似に投企すべき…

流通化

かねてより構想していた「流通論」の骨子をまとめる。流通は交通の延長ではない。流通の正体のなかに近代の姿が隠されている。ボードリヤールも指摘しているとおり、商品の価値は二重化されている。商品自体の価値と社会というコンテキストのなかに組みこま…