情報の神格

「情報」があまりに神格を持ちすぎている。どこにでも存在する魔法の粉のように語られる。だが情報はそれ自体だけで存在することはありえない。いつも空間のどこかが実体として対になっている。空間を「身体空間」「感覚空間」「自然空間」とレファレンスすると、情報が存在しえるのは感覚空間である。遺伝子、DNAを「情報」の実体のようにみるのは禁物である。遺伝子という実体に対して遺伝子という情報が生起しているにすぎない。