胸中の技術

日本は幾重にも自分を折り畳んできた。

弥生には縄文を、江戸には桃山を、明治には江戸を、平成には昭和を折り畳んできた。


モダニズムの原動力となった「科学技術」は「胸外の技術」である。人の外に世界の起点を措き、世界の体系を認識・表現・操作しようとする。だが、ここで語られる世界は「世界」のほんの一部ではないか。


認識が世界をふたつに分ける。世界に対峙し認識した途端に「認識前の世界」と「認識後の世界」があらわれる。科学技術が語るのはこの「認識前の世界」である。ケネス・パイクの言葉を借りるならエティックな世界である。「認識後の世界」はすでにその人と世界の関係が成立し、関係によって意味がもたらされている。ただひとつ、そこにあるイーミックな世界である。


禅はふんだんに胸中の世界と遊んできた。公案も、胸中の世界に近づき胸中の世界と遊ぶための方法である。すこし「胸中」に着目したい。


科学技術が胸外の技術にとどまるなら、いまそこにある世界との関係性は勘定されない。多様に出現する環境問題の根も、世界に関わっていけない科学技術のジレンマであるのかも知れない。


だが、心に科学技術がアプローチするという方法はとりたくない。このアプローチそのものがすでに「心」を胸外に持ちだしてしまおうとする科学技術的態度を前提としている。脳の仕組みが問題なのではない。情報科学にも奔走したくない。ただ、胸の内を知ることが肝要である。


科学技術は人をせばめてはこなかったか。世界を傷つけてはこなかったか。それはなぜか。なぜ人が触れたものは「人工物」に映るのか。


だからこそ「胸中の技術」に注目したい。胸中の技術はいつも人に寄り添ってきた。胸中の技術はいつも文化のなかに埋めこまれ、伝承されてきた。これらは迷信や絵空事ではない。胸中から世界に関わる知恵である。物語はこれらをいつでも引き出し、いつでも利用できるようにするためのアーカイブであった。


日本は時代を重ねるなかで、たくみに胸中を折り畳んできた。百五十年前の日本がつい遠い異国のように感じてしまうのも、たくみに折り畳まれているからである。民俗学も科学技術的態度で見ると、まるで世界とは脈絡のない迷信を集めている時代の遺物であるかのように見えるが、もっとも胸中の技術を発揮している領野でもある。わずか数百年の世界的モダニズムの動向のなかで、すっかり胸中が見えにくくなってしまった。


日本は存外胸中の技術が充実している国である。「見立て」も「重ね」も「合わせ」も「折り紙」もここかしこにひろがっている。この気配をこそ大事にしたい。