屏風のリアリティ

なにもエレクトロニクスがなければ「仮想現実」が生まれないわけではない。かつては屏風から抜け出た物の怪に慄いたり、掛け軸の滝にすずやかさを堪能したものだった。そこには電子的現実とは異なる仮想現実があった。「現実感」は、脳のなかで情報が束ねられ、配置され、関係に意味が付着してはじめて生まれる。意味とともに到来する。いいかえれば、それ以前のそれぞれの感覚器官で情報に変換される工学的プロセスの段階ではまだリアリティは生まれていない。着々と準備されている段階だ。VRで視覚を蓋い尽くして「現実感」を引き出すのは、仮想というよりはむしろ脳に現実の光景との「錯覚」を誘発させているにすぎない。これからはより人の脳のなかの処理に寄り添うような、特に「意味」の発生するプロセスに関与するVRに向かうのがよい。すると、屏風や掛け軸のリアリティに合点がいくようになる。VR以前にわれわれはいつも仮想現実に親しんできたというわけだ。