パラメトロンの父、還る

パラメトロンを生み出した後藤英一さんが12日に亡くなった。後藤さんは1931年渋谷生まれ、東京大学理学部大学院時代に新しい計算素子パラメトロンを考案する。23歳のときだった。リレー式真空管に変わる計算機の素子で、磁束の多数決によって状態の保存・計算を行おうとする。同じころ登場したのがトランジスタトランジスタが小さな消費電力で動作が速いのに比べ、当時のパラメトロンは膨大な電力を必要とし、動作もトランジスタに比べ遅かった。そして計算機の世代はトランジスタへと移っていく。

1957年3月、電電公社がパラメトロンを用いた計算機を完成させる。MUSASHINO-1だ。名前にも日本らしさが香る。以前、コンピュータの歴史のテキストをまとめたとき、アメリカ一辺倒の歴史観が流通するなか、パラメトロン等日本のコンピュータ黎明期をさしはさんだ。当時東京農工大学の繊維博物館の片隅にコンピュータ博物館があった。もっとも博物館といっても一室であるが。ここにタイガー計算機からMUSASHINO-1の基板などが集められていた。個人の収集を展示したものだが、ここを取材させて頂いたときにMUSASHINO-1にお目にかかった。コイルが丁寧に巻かれているのがとても印象的だった。日本の仕事ぶりを感じたものだった。

トランジスタが登場し、次にIC、LSIと集積化していくなかでパラメトロンは世間からはすっかり忘れ去られてしまったが、後藤英一さんはその後も亡くなるまでパラメトロンの研究を続ける。1986年から1991年まで科学技術振興機構のERATOプロジェクトで「後藤磁束量子情報プロジェクト」を展開する。ここでジョセフソン接合によるパラメトロン素子を開発し、超高速コンピュータの開発に没頭していた。パラメトロン素子によるコンピュータはエネルギー消費が少なく、環境共生型のコンピュータのモデルになるかも知れない。

一昨年より、『伝統技術と科学知』のプロジェクトで伝統技術から現代の科学知への系譜を探っているが、パラメトロンは伝統と呼ぶにはあまりにも新しく、今回は盛りこまれなかった。だが、鎌倉の吉屋信子記念館で開催された部会で脇の話として紹介した。吉田五十八の設計による近代数奇屋造りの館でパラメトロンについて語るのもなかなかのものだった。

後藤英一さんは、まさに一途で多様だった。パラメトロン以外にも数々の最先端の研究に走るがそのどれもが余りにも早すぎる。だれも追いつくことができない。未来から来た少年のようであり、いつも日本の風をまとう一者である。

後藤さんの眼にはいまの日本がどのように映っていただろうか。


▼後藤英一(情報処理学会/コンピュータ博物館)
 http://www.ipsj.or.jp/katsudou/museum/pioneer/gotou.html

▼MUSASHINO-1(情報処理学会/コンピュータ博物館)
 http://www.ipsj.or.jp/katsudou/museum/computer/0140.html

▼ERATO 後藤磁束量子情報プロジェクト(1986.10〜1991.9)
 http://www.jst.go.jp/erato/project/gjrj_P/gjrj_P-j.html