「ただ居る」と「ただ在る」

人はただ、居るばかりである。自分という五感空間からは一歩も外に出ることはできない。時折ここに来訪者があるが、それは五感空間の外の影である。そこはただ、在るのだろうが、直接知ることはできない。五感空間という生涯の部屋を少しずつ小さくしていき、消失させるときに「ただ居る」をつきぬけて「ただ在る」を直覚する。

街を歩いていて、まるで影絵芝居のなかに放りこまれているようだな、と思うことがある。自動車のクラクションの音も、すれ違う人の話し声も、空の色も自分の身体の調整で違って聞こえたり、違って見えたりもする。だがそんな自分も他の人のなかの小さな影のひとつにすぎない。ここにはかなさや、かそけき思いが生まれる。