桜氏の出来事

桜氏はつきあいはじめておよそ五年になる男であるが、花鳥風月がよく似合った。特に桜がよく似合った。それがぼくを不安にさせていた。

去年、桜氏は仕事で関西に出かける。ところが突然、ふつりと連絡がとれなくなる。一週間ほどして連絡がとれたのは明石大橋をのぞむ病院のベッドだった。

彼とは三年ほど前から少し大きな夢を描いている。いま自分たちに出来ることを一枚の絵にあてはめていく作業をこつこつと進めていた。はじめは一ヶ月くらいで描き切ってしまうつもりだったのだが、気がつくと三年もたっていた。どこかに売り払うこともせず、自分たちの手で筆を進めるために、まるで人としてのあかしを立てるように続けてきた。

だが桜氏を襲った現実は生半可なものではなかった。まるでそれほどまでの絵を描いた代償であるかのように、癌を宣告される。現実はいつも唐突にやってくる。そして自分の不安、家族の不安、仕事の不安、故郷の不安、様々な不安が渦をなして桜氏の帽子となった。花を見ても、雨に打たれても、来年もあるのだろうかという不安が蹲る。

桜氏はいつも夢を見ていた。この仕事を終え、故郷の山に帰って小さな庵を結び、そこで下足番をする夢をいつも嬉しそうに話していた。その庵の予定地の近くには赤目山椒魚の生息地がある。庵に上がるには下足番の許しを得なければならない。庵を降りるには下足番の許しを得なければならない。下足番はその小さな世界の主人なのである。そんな遊びで自分の最後を飾ろうとしていた。招待客のリストもつくっていた。そのなかには呼ぶけれども絶対に上げない人も含まれている。

桜氏は団塊の世代で、日本の近代の近代を担い、バブルを一息にかけぬけていった。彼もとある大企業を早期退職し、それを元手に自分を故郷に帰す計画を実行するはずだった。

いまも桜氏は病院を出たり入ったりしながらこの仕事を淡々と進めている。じつは鬼気迫る迫力があるのだが、それはおくびにも出さず、柔らかな物腰で仕事を進めている。おそらく一緒に仕事を進めている人のなかには、この現実を知っている人も知らない人もいる。

だが桜氏は覚悟をもって物語り続けている。物語は物を語る者だけでは成立しない。物を聞く者が必要である。この対がないと物語は成立しない。ぼくは桜氏の物語のすべてに耳を傾けながら一緒に物語をあたりまえのように編むことにした。これにもたいそうな覚悟が必要だった。生と死の境界線のなかで歩みつづける物語である。一日一日と時が吸い取られていく。

いま桜氏ほどぼくを理解してくれている者はいない。だからあたりまえのような時を一緒に歩みたい。

これは何も特別なことではない。人にとってはもっともありふれた出来事である。いま、これだけを語っておかなければならない。