2005-08-01から1ヶ月間の記事一覧

ボナンゴから映像

映像とはボナンゴの代弁であるのかも知れない。テレビを見ながら心で大声をあげて空間を満たしているというわけである。

笑いと抽象

おそらく「笑い」にこそもっとも抽象がはいりこむ。

テレビとホームズ

ホームズとはいったい誰なのか。探偵とはいったい何なのか。おそらくはテレビとホームズが都市を生みだしたといってもよい。

西洋の森

日本・アジアに対する西洋の抽象は、おそらくは戦乱のなかで廃墟になっていく地上で育まれる。廃墟のなかから聞こえてくる新しい表現が抽象であったというわけだ。おそらくは仮想の森、人の森、多民族・多文化が背景ではたらいている。モンドリアンは、不器…

モンドリアンのキャンバス

大学でのスクイーク・ワークショップで最終日に学生と毛色の異なるものをひとつ。『モンドリアンのキャンバス』は、部品をコピーしてキャンバスに落とし、部品の変数をいじって前に進めたり後ろに進めたり、色を変えたり、進む速度を変えたり。もちろん部品…

桜氏の声

桜氏の具合が急速に悪化している。そろそろ覚悟をしてくれとの連絡あり。それでも百年後を考えたい。なぜこんなとき人は思わず手を合わせてしまうのか。

都市と映像

あたりまえのことであまり指摘されないが、映像は都市に集中している。エジソンが覗き眼鏡式映写機キネトスコープを発明したのが一八九三年、リュミエール兄弟がシネマトグラフをパリで公開したのが一八九五年、これが現在のスクリーン投影型映写機のはじま…

桜氏の重大

桜氏はいまベッドのなかから世界を凝視し、携帯電話で社会の沸騰する淵とつながる。時折病室を抜けだして出掛けるが、社会の反応はいささか冷ややかである。おそらくは「戸惑い」と「割り切り」があるのだろうが、こんな桜氏こそがまっとうできる社会であっ…

曖昧と抽象

日本の抽象は、庭や茶や花や相撲を見てもわかるとおり、とびぬけて高度に洗練されている。もちろんこれらは一夜にしてなったのではなく、長い時間の積み重ねがあった。ここに日本らしさの一端がある。よく比較文化論では「日本人は曖昧に過ぎる」という指摘…

脳を遊ばせる

「脳をきたえるトレーニング」などというフレーズを眼にするにつけ、近代の都市を感じる。すでに様々な記号(脳の食べ物)にあふれた物理的空間では間に合わず、ゲーム機のなかにまで走り出す。「きたえる」より「ゆっくり遊ばせる」ことを考えればよいのに…

抽象日本

大学でのモンドリアンの話にあわせ、日本の抽象について話をする。抽象画というとまるで美術史では西洋の専売特許のように語られるが、そんなことはない。特に室町、安土桃山の禅林の抽象化はすさまじい。言葉から花から茶から景観からあらゆる日本の場面を…

文化は脳の生活空間である

いま、数年前に書いたS市のプランを改定している(個人的に)。都市の有様はおよそ「牧歌都市」「工房都市」「産業都市」「情報都市」「五感都市」の流れがある。さらに「産業都市」には「機械」のステージと「電気」のステージが用意される。どうもこの変化…

子守唄

都市が半都市化するにつれ、きっとギター一本のスローなバラードが都市で流行する。そろそろ脳が少し眠たくなってきているから。

半分数奇

数奇とは半分感覚のことではなかったか。