2005-08-02から1日間の記事一覧

脳の食べ物

都市が記号で溢れているのは、なによりも都市が脳のための食卓だからである。人は脳に食べ物を給仕する。都市には道がない。およそ記号のための通路があるばかりだ。人口密度も高いが、人工密度も高い。一方人と人とのコミュニケーション密度は滅法低い。都…

ボナンゴから映像

映像とはボナンゴの代弁であるのかも知れない。テレビを見ながら心で大声をあげて空間を満たしているというわけである。

笑いと抽象

おそらく「笑い」にこそもっとも抽象がはいりこむ。

テレビとホームズ

ホームズとはいったい誰なのか。探偵とはいったい何なのか。おそらくはテレビとホームズが都市を生みだしたといってもよい。

西洋の森

日本・アジアに対する西洋の抽象は、おそらくは戦乱のなかで廃墟になっていく地上で育まれる。廃墟のなかから聞こえてくる新しい表現が抽象であったというわけだ。おそらくは仮想の森、人の森、多民族・多文化が背景ではたらいている。モンドリアンは、不器…

モンドリアンのキャンバス

大学でのスクイーク・ワークショップで最終日に学生と毛色の異なるものをひとつ。『モンドリアンのキャンバス』は、部品をコピーしてキャンバスに落とし、部品の変数をいじって前に進めたり後ろに進めたり、色を変えたり、進む速度を変えたり。もちろん部品…

桜氏の声

桜氏の具合が急速に悪化している。そろそろ覚悟をしてくれとの連絡あり。それでも百年後を考えたい。なぜこんなとき人は思わず手を合わせてしまうのか。

都市と映像

あたりまえのことであまり指摘されないが、映像は都市に集中している。エジソンが覗き眼鏡式映写機キネトスコープを発明したのが一八九三年、リュミエール兄弟がシネマトグラフをパリで公開したのが一八九五年、これが現在のスクリーン投影型映写機のはじま…

桜氏の重大

桜氏はいまベッドのなかから世界を凝視し、携帯電話で社会の沸騰する淵とつながる。時折病室を抜けだして出掛けるが、社会の反応はいささか冷ややかである。おそらくは「戸惑い」と「割り切り」があるのだろうが、こんな桜氏こそがまっとうできる社会であっ…

曖昧と抽象

日本の抽象は、庭や茶や花や相撲を見てもわかるとおり、とびぬけて高度に洗練されている。もちろんこれらは一夜にしてなったのではなく、長い時間の積み重ねがあった。ここに日本らしさの一端がある。よく比較文化論では「日本人は曖昧に過ぎる」という指摘…