脳の食べ物

都市が記号で溢れているのは、なによりも都市が脳のための食卓だからである。人は脳に食べ物を給仕する。都市には道がない。およそ記号のための通路があるばかりだ。人口密度も高いが、人工密度も高い。一方人と人とのコミュニケーション密度は滅法低い。都市に探偵が走るのは、あるべき記号をあるべき場所にしつらえるためである。

記号論にももうひとつの方法があってよい。記号で世界を解釈するばかりでなく、脳の食べ物としての記号、脳の食卓としての都市から脳の生態学が生まれる。そうすれば人のもうひとつの歴史が見えてくる。遺伝子の乗り物というよりは脳の器としての人の歴史だ。

いま都市の成長に限界が見えているのは、経済の問題ばかりではない。どうも脳が肥大化をためらいはじめたふしがある。夢から醒めはじめているのかも知れない。