網膜テレビ

ゲーム脳」という見立てはどうかと思うが、網膜の映像とテレビ/モニタの映像の接近は気になる。この境は自分の境でもあるだけに、自己消失が不用意に起こりうる。だが脳にとってはどちらも脳の栄養であるばかりである。

自分の境をまぎらし世界との一体感を味わうのが三昧であるが、このときは自分と世界の境をまぎらしながらもそれを味わう自分を漂わせておく。網膜テレビの自己消失とは一味ちがう。

遊びに夢中になること、映画に入りこんでしまうこと、ゲームに溶けこんでしまうこと、仕事に打ちこむこと。このあいだにはどのような違いがあるのか。夢中の存在学が聞こえてくる。