複製技術と都市

ベンヤミンの『複製技術時代の芸術』はなかなかの碧眼であるが、ふたつの不満がある。ひとつは「都市」という視点が抜け落ちていること、ふたつめは一回性にこそアウラがひそむのではなく、都市においては一回性のアウラから同時性のアウラへの展出が見られるということ。同時性というのは「ひとつのもの」に対し、「ひとつの場所」となる。ソーシャルネットやブログのリアリティはひとつの場所のアウラにはじまる。マルクスベンヤミンも「場所」の観点が足りない。

都市は自己複製により成立している。だからどこを切っても同じ風景が現われる。おそらくは脳が都市という外化をはたすためにとったもっとも効率的な戦略が自己複製である。これはフラクタル構造など自然にもありふれた構造ではあるが、都市では物理的領域を超えて意味的領域にいたるまで自己複製が集中している。