インターネット・レコーダー

今宵は鎌倉の呑屋でウェブ・アーカイブについて軽くディスカッション。

現在、Internet Archive国立国会図書館WARPなど各国でインターネットの資源を継続的に収集する動きが昂まっている。また一方ではデジタル化されたコンテンツをアーカイブ化しようとする動きがある。


デジタル・アーカイブは、たとえば地方で地域文化資源をデジタル化して保存・利用をするなど、「テーマ設定」「選択的収集」が基礎になっている。集める側の目的・評価によって目録が構成されていく。


 ▼京都デジタルアーカイブ
  http://www.archives.astem.or.jp/

 ▼沖縄デジタルアーカイブ「Wonder沖縄」
  http://www.wonder-okinawa.jp/


一方、最近とみに議論が活発化しているウェブ・アーカイブの基礎はバルク収集、つまりおしなべてすべてを収集することが基礎になる。


 ▼Internet Archive
  http://www.archive.org/

 ▼国立国会図書館 WARP
  http://warp.ndl.go.jp/


あるとき、以前利用したことのあるサイトを思い出し、アクセスしてみたらすでにそのサイトは閉鎖されていたという経験はないだろうか。自治体が合併したり、研究所などの組織が改変・統廃合されても同じことが起きる。いまやインターネットを飾る情報はいつも点いたり消えたり引越ししたりを繰り返しているということだ。


そこでウェブ・アーカイブが登場する。ウェブ・アーカイブは、常にインターネットのウェブを記録・アーカイブ化し、過去に遡ってサイトへのアクセスを可能にしようとするものである。もちろんここには公的情報などの貴重な情報さえ失われかねないインターネットの状況に対してそれを補う意味もあるが、「時代をまるごと記録していく」という少々民俗学的な趣味もはたらいている。


だが、問題はここにとどまらない。ひとつは情報が一度デジタル化されてしまえば、その情報のなかにそれが私的な情報であるのか、公的な情報であるのかという区別は一切ない。ウェブを利用した家計簿のサイトや、数人の気のあった仲間とのコミュニケーションサイトや、はたまたこの境界線を突破する欲望消費サイトなど、あらゆるウェブが保存の対象となる。つまり、ウェブ・アーカイブとはインターネット・レコーダーである。それがごく個人的な情報であれ、大統領の演説であれすべてを収集保存しつづける機械である。


著作物として保護されるべきものなのか、そのプライバシーを保護すべきものなのか、その境界すらデジタルという領域は消し去ってしまう。


現在のところ、「デジタル・アーカイブ」と呼ばれるものは「あらゆるデジタル資源」を対象とせず、自治体・博物館などの公的機関が主体となってアーカイブを構築している。そこで公的目的に沿った選択・評価がはさまれることで、暗黙のうちにプライバシーと著作権の問題をクリアしている。だが、ウェブ・アーカイブの場合はこの問題を原理的にクリアできない。「すべてを収集保存するが利用に制限を設定する」「あらかじめ評価して選択的に収集保存する」のいずれかをとる以外にはクリアできそうもない。


インターネットを利用した自分の履歴がすべてどこかで記録されているとしたら、あなたはインターネットを利用するだろうか。


もうひとつの問題は「デジタル情報」と「プレーヤー」の問題である。デジタル情報はそのままでは人が見ることが出来ない。ブラウザなどのソフトウエアがデジタル情報を人が見える形、読める形に変換してやらなくてはいけない。だからいくらデジタル情報だけを保存しても、膨大なLPレコードを収集して気がついたらレコードプレーヤーがなくて音が聴けなかったということになりかねない。


デジタル情報はいつもプレーヤーとワンセットであるということ。さらにデジタル情報の形(フォーマット)もプレーヤーの情報変換アルゴリズムも著作物であるので、その著作者の意向によって一切のアクセスが出来なくなることもある。


とかく、デジタルの世界はナイーブな王国であるとさ。