表現する自分

表現にはいつも自分がつきまとう。近代に入ってからというもの、およそ「人文系」の表現がつまらない。世界を見て、感じて、考えはじめたとたんに停止する。哲学も神秘主義もトランスパーソナルもつまらない。ある特定の薄いイメージに囲われてしまって表現が不足する。自分を勘定にいれた現実が不足している。表現してはじめて自分がなる。科学者のことばのほうが美しく感じてしまうのは、イメージについて語らず、語りこそがイメージを生んでいるからだろう。


イメージよりモデル。モデルとの遊びがイマジネーションになる。