ブログの痛快

ブログのひとつの痛快は「頁」にある。ウェブは一頁一頁がフリー・スタイルで、頁と頁のあいだには何の脈絡もない。同一ディレクトリの別ファイルであろうが、地球の裏側のサーバーにあるファイルだろうが、いったん頁の外に出てしまえばそれはまったく同じ。


ブログは、時間軸が持ちこまれることによって本のような「頁」が生れる。昨日と今日が「頁」として連なる。だからこそ、そこに言葉を連ねていけるようになる。「ホームページ」はとても社会的産物とは思えないが、ブログはすでに社会を巻きこみつつある。きっと「メール」と同じくらいの意味を持つことになる。「パブリック・ドメイン」が、ソフトではなく場所として現れるかも知れない。