都市は消費する

都市はあまりに過剰である。喧騒からショーウインドウや街灯の光から冷暖房まであまりに過剰である。時間ですら秒針で動いているような気がする。こんな時間の過剰をエンデは『モモ』に書きこんだ。

なぜこのような都市が誕生したのかが気がかりだった。住居が密集する場所のことではない。職住が分離し二十四時間眠らない、近代の都市のことである。この都市はどう考えても人にとっては住みにくい空間なのだが、近代国家が成立するための核心の空間でもある。

おそらくは、ルネサンスのころからはじまった脳の肥大化・活発化に起因している。なにがきっかけであるかわからないが、どうもそのころから脳のはたらき方が変化している。それが文化史にも科学史にも刻まれている。この脳の爆発的膨張が地上に近代という空間をもたらした。この近代化は、人にとっても過剰な乗物であったのだろう。戦争や環境問題をふりまきながら人は都市を生み、近代空間を建設した。

だがこの脳は人にとっても過剰である。とても自分だけでは消費しきれない。そしてそれを引き受けているのが都市なのであろう。そう、都市は肥大化してしまった脳のラジエータなのである。