デジタル・モンドリアン

多摩美術大学で、友人の協力を得て四日間にわたって夏期特別講座『スクイーク・ワークショップ』を行う。講座名に「スクイーク」とあるのは、まだまだ百年後のための道具「スクイークSqueak」の認知が不足しているから。でも、今回の講座は、スクイークを教えたかったわけじゃない。スクイークという道具をつかって表現に向かう、そんなワークショップをやりたかった。

実は昨年も大学で講座をもたせてもらったのだが、昨年は大学内でもほとんど誰もスクイークを知らず、そのために大学生向けに行ったのだが他の先生たち向けも考えてほとんどスクイークの大プレゼンテーションとなってしまった。その甲斐もあってその後スクイークが大学で認知され、今年度は後期にスクイークの講座(FlashでもJavaでもなく)が行われることになりそうだ。あっさりFlashJavaからスクイークに走るのも美術大学らしくていい。

今年は情報教育としてこどもにスクイークの使い方を教えるのではなく、エンジニアの卵たちにスクイーク・プログラミング環境を教えるのではなく、デジタルな表現を考えながらその実現のためにスクイークという道具を使う、そんな向きにしたかった。

多摩美術大学の須永先生の助言もあり、テーマとして「モンドリアン」を設定する。モンドリアンの抽象画は単純で誰にでもできそうでありながら、実はとても洗練されている。オランダの透明で湿った光がモンドリアンの抽象にまで届いている。このモンドリアンの絵、モンドリアンという存在をスクイークをとおして表現する。そんな設定だった。

スクイークはあらかじめ教えられる範囲を限る。表現のために「もの」と「うごき」を実現できるような道具立てとする。モンドリアンのひととなりを紹介しながらモンドリアンの絵の歴史を見る。林檎の絵から抽象に走っていくモンドリアンの絵。ニューヨークにたどりついてブギウギに興じるモンドリアン。表現の下敷きとしてモンドリアンの絵から四枚を選び、それをモチーフとする。モチーフも単純、スクイークも受講者誰もが優劣なし。そんな制約が設定されることにより、表現としての工夫が生まれる。

スクイークモンドリアンというふたつの部屋があったために、それぞれの部屋を出たり入ったりする按配(実際の部屋ではありませぬ。講座の内容がふたつの柱立てと相成りまする)となり、ただスクイークで遊んだり、ただモンドリアンを真似るという場面から離れることができた。ここが肝心。

また今回は受講者の約半数が高校生。基本的に大学生と高校生がひとりずつでひとつのチームを組んで作品を制作する。高校生も必死、大学生も必死。適度な緊張が作品にも表れる。表現らしさが現われる。

こんな小さな試みも臆することなく重ねることが、百年後のこどものための贈り物になる。

学びと遊びはいつも想像以上でなくちゃ、ね。

今回多大なる協力をいただいたのは、Squeakerのabeeさん。どうもありがとう。