桜氏の渦中

桜氏の渦中のただなかに一緒にいると、百年後を考えることが無謀でもなんでもなく思えてくる。このところ考えていることは、インターネットをはじめとした情報・通信の環境がなによりもこどもたちのものである、ということ。まだ出来立ての環境を大人たちが自分たちのものだとして独占する必要はまったくない。あたりまえのコミュニケーションの環境として考えれば、大人たちの持ち物として考える必要はまったくない。コミュニケーションは一緒になるための環境で分けるための環境ではない。こどもが主役になれば、大人の論理のデバイドなどたちまちに消える。

ともかく、何があっても桜氏を応援したい。それが百年後ということだ。