2005-01-01から1年間の記事一覧

風光明媚

この季節になると朝テレビで各地の紅葉中継がなされる。たまたま嵯峨野の二尊院が中継されたが、その庭がまさに風光明媚だった。いま、色々と建築の概念をあたっているのだが、日本では庭も建物もひと連なりで境がない。光は「明るさ」という機能ではなく、…

さがゆき

久し振りにとんでもない声に触れる。自分のまわりが声につつまれて流れはじめる。インディーズやジャズファンの間では少し知られているけれど、他ではほとんど知られていない宝石。桃山晴衣やおおたか静流や元ちとせやSLAVAをはじめて聴いたとき以上の衝撃。…

バブル・チェーン

自民党と楽天のあまりの類似が気になる。どちらも社会的に支えている層が30代後半から40代はじめ。革新を謳うが確信も核心もない。不確かなバブルの上の踊りである。おそらくは政治やITの分野だけでなく、あらゆる分野に同じ傾向がある。都市の破綻と少子高…

都市・文化・経済・脳・書物・技術・玩具

都市・文化・経済・脳・書物・技術・玩具、これらを同時に語りたい。

近代の特殊性

近代の特殊性は、およそ人が見えにくくなっているところにある。だが一方で脳の存在が強調された時代でもある。

構造と階層

階層とは、構造理解のための便宜であるのかも知れない。

1ビットのゴッホ

ゴッホの1ビットには無限の階段がたたまれている。たった1ビットの情報を表現するために丁寧に丁寧にプロセスを重ねていく。それが誰が見てもゴッホとわかる筆遣いを生む。ぼくはゴッホの絵のなかでは『夜のカフェテラス』が一番のお気に入りであるが、この…

女性の社会化と社会の都市化

よく女性の社会化が叫ばれ、これからの社会像が語られるが、これにはむかしからどこか違和感があった。バブル経済の破綻と社会機構の崩壊は、そのまま都市化する社会の破綻を意味していたが、なぜそこに「女性」かがなかなか了解できずにいた。選挙の期間に…

ブログと都市

なぜ、いまこれほど急速にブログが動きだしているのか。どうも都市の動向に絡んでいるような気がしている。おそらくは「半都市」の入り口ではないか。

ブログ検索

あっという間にブログ検索がひろまる。すでにブログが社会化する準備は整った(技術的には)というわけだが、まだ肝心のブログの中身が伴っていない。ブログはまだ未熟な玩具といった按配だ。よくこれだけ数分前のブログの検索ができるな、と思いつつ、何で…

本々堂オープン

『Zenetics Joutnal』の「書物・宇宙」に「本々堂」オープン。ここは完結の短編小説置き場。第一篇は、「ヨハネの舟」。これは一昨日見た夢を題材に短編に仕上げたもの。 ▼Zenetics Journal http://zenetics.jp/jnl/>

都市とイメージ

都市はあまりにイメージに流されやすい。都市はいつ消失するやもしれぬ不確かな空間で、都市を建築すること自体にいったいどれほどの価値があるのかわからない。近代という脳内現象は都市にひたむきになったが、繰り返されるテロリズムや膨らみ続ける環境問…

『ZENETICS JOURNAL』創刊準備のはじまり

ブログを利用した雑誌『ZENETICS JOURNAL』の創刊準備。これからゆっくり育てていきまする。たぶん半年ぐらい創刊準備。

YES PROJECT

自民党懇談会の"YES PROJECT"がいただけない。もう一度ウッドストックが必要か。

project m

桜氏と"project m"の打ち合わせ。

自民党とブロガー

「メルマガおよびブログ作者と自民党幹部との懇談会」の話題がブログをかけめぐっている。無党派・若年層を取りこもうという意図はあまりに丸見えなのだが、どうかブログを、若い人がいま育てている文化・風土を甘くみないで欲しい。まず自らのサイトをブロ…

蝉しぐれ

やがて死ぬけしきは見えず蝉の声(芭蕉)

表現と未来

未来はいつも表現のなかにある。表現はいつも一秒先へ投企する。

メディアは自己反復する

メディアは複製による自己反復に本分がある。どこを切っても同じ貌を見せる都市の要。脳そのものの構造も自己反復であるのだろう。

メディアは都市の皮膚である

ます、紙があった。知らない者同士が同じコンテキストに触れた。おそらくは都市化の戦略の重要な一事であった。さらにリトグラフ、活字、新聞とテレビ。そしてインターネット。

一回性の想像力と同時性の想像力

一回性の想像力と同時性の想像力は異なる。ブログは同時性の想像力にささえられている。これは「共同幻想」ではない。

アートとデザイン

よく「アートは個に向けての表現、デザインは社会に向けての表現」と言われるが、複製技術の観点から見直してみてもよい。デザインにひそむ都市性、デザインにひそむ同時性がもっと議論されてもよい。

複製技術と都市

ベンヤミンの『複製技術時代の芸術』はなかなかの碧眼であるが、ふたつの不満がある。ひとつは「都市」という視点が抜け落ちていること、ふたつめは一回性にこそアウラがひそむのではなく、都市においては一回性のアウラから同時性のアウラへの展出が見られ…

都市論と国家論

都市論は投げだされるもの。国家論はしまわれるもの。

サーバーサイド・フォント

サーバーサイドのフォントシステムが欲しい。現行のウェブのシステムではクライアント側のフォントが前提なので、書き手の意図に沿った表示ができない。これでは表現にならない。

『書物都市 CUE』プレ・オープン

『書物都市 CUE』をプレ・オープン。ブログをまとめあげ、そこに「編集」をさしはさむことで新たなるネット・メディアへ。雑誌とテレビのあいだ。

小説を書くということ

小説を書くということは、人のなかのフィクシオンに気づく行為である。

桜氏の声が聞こえる

久方振りに電話より桜氏の声。一時薬のショック症状で昏睡にまで陥っていたが、ベッドから電話をかけられるほどに回復した。これで病魔から解放されつつあるというわけではないが、桜氏の声が生きているあかしのように尊かった。

全然都市インデックス

はじめから読むのが面倒という声にこたえて、『全然都市』を作成。はじめから読みたい人はこちらからどうぞ。こちらでは断片が投稿順に並んでいます。

Appleというブランド

Macが登場したときから、Appleはマニアのためのメーカーからブランドへと成長する。PCに対する先導的コンセプト、エンジニアよりクリエイティブたちへの支援で一時代を築く。だがWindows95の登場を境にこの状況が壊れはじめる。ユーザ・インターフェースをは…